こんにちわ、AKIRAです🐺
今回は私の人生で半分以上一緒に過ごしている悪性腫瘍癌についてお話ししていきます。
この記事を読んだ方が少しでも救われること祈って、書き留めようと思いますのでお付き合いください。
生理不順が病気のはじまり
私の癌の症状は中学生から始まっていました。
中学一年生から始まった生理が2年生の冬から突然こなくなりました。
最初は受験や学校生活でのストレスではないかと婦人科の先生は検査もせずに経過観察。
生理が来ないまま迎えた中学三年生。
5月にあったスポーツテストで私の体は開花したかのように発達します。
筋肉が発達し割れる腹筋と声変わりしたかのような低い声。
体毛は濃くなり、男性のように体が成長していきます。
スポーツテストでは県内一位の成績を叩き出し、周りからも一目置かれる存在となっていました。

この男性化の症状こそが私の病気のサインでした。
成人した今も体に当時の症状の痕迹は残っています。
高校生での発見
受験を終えて志望校にも無事合格。
そのまま迎えた高校生活でも私の体はどんどん男性化していきます。
部活動ではソフトボールをはじめて県内の選手からも一目置かれる存在に。
高校2年生の夏を迎えた頃、母親から提案がありました。
「病院で検査をしてもらおう」
この一言から、私は中学生から止まっていた生理のことも含めて婦人科を受診。
血液検査をしたところ男性ホルモンが通常成人男性の6倍出ていることが発覚。
そのまま県内の大学病院を紹介され腹部エコーを実施。
右副腎が拳大に肥大していることが発覚し即入院という形になりました。
手術と結果
大学病院で手術をすることになり腹腔鏡手術を実施。
手術は無事に成功。
摘出した右副腎は検体として検査に出されることになりました。
今まで右副腎が生活で必要なホルモンを分泌しており、左の副腎は機能していなかったため内服薬で体内のホルモンを調整することに。
毎日の内服生活にも慣れてきた3ヶ月後。
検査の結果を主治医から告げられました。
「悪性腫瘍がん」であったこと。
病名は「副腎皮質がん」。
100万人に1人がなるという希少な病気で、成人してない私の症例は今までにないとのことでした。
当時学生の私には実感もなく何も言えなったことを思い出します。

家族はとても悲しんでいました。
それでも支えてくれた家族には感謝しかありません。
当時を振り返って
当時のことを思い出すと、当時の婦人科の先生に問い詰めたくなりますね。
最初の生理不順で検査をしていれば結果は変わったかもしれません。
私の体に今も残っている男性化の傷跡はなかったかと思うと憤りを感じます。
この記事を読んでいる方に伝えたいことは「変化があればすぐの受診と検査をすること」
これに限ります。
なにかいつもと違うということは病気のサインです。
いちはやく治さないと後に苦しむことになります。
今回の記事はここまでです。
闘病記録の記事では術後の服薬生活と併発したうつ病の記録なども書いていく予定です。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
また、次の記事でお会いしましょう!
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